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被災地に夢 星野さん死去、悼むファン

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プロ野球楽天を初の 日本一に導き、 東日本大震災で大きな被害に遭った東北を勇気づけた星野仙一さんが70歳で亡くなった。 球団の 本拠地がある仙台市や被災地では6日、 感謝や惜別の 声が聞かれた。 楽天を応援する
プロ野球楽天を初の日本一に導き、東日本大震災で大きな被害に遭った東北を勇気づけた星野仙一さんが70歳で亡くなった。球団の本拠地がある仙台市や被災地では6日、感謝や惜別の声が聞かれた。 プロ野球日本一の優勝パレードで手を振る楽天の星野監督(2013年11月、仙台市青葉区)=共同 楽天を応援する仙台市太白区の会社員、佐藤憲一郎さん(47)は、本拠地「楽天生命パーク宮城」を夫婦で訪れ、手を合わせた。「何度も星野さんの勇姿を見に来た思い出の場所。どうしても来たかった」と寂しそうに球場を見つめた。 震災の津波で自宅を失い、2013年の日本一を仮設商店街で見守った宮城県南三陸町の及川善祐さん(64)は「被災者やボランティアの人々が抱き合い、涙を流して喜んだ。われわれの希望が凝縮された日本シリーズだった。ありがとうと言いたい」と涙ぐんだ。 震災の被害が大きかった宮城県気仙沼市の市立大島中3年で、野球部主将を務めた小野寺将紀さん(15)は「初優勝のときは、家族でテレビの前で大喜びした。震災後の被災地を野球で明るくしてくれた」と感謝した。 星野さんがたびたび訪れた仙台市青葉区のすし店「鮨仙一」の店主、山田定雄さん(61)は「現役選手の時代から、自分で道を切り開いていく生きざまが好きだった。昨年会ったときは元気だったので、亡くなったことがまだ信じられない」と語った。 JR仙台駅では、地元紙が悲報を伝える号外を配った。駅を訪れた仙台市若林区の主婦、村上しずかさん(70)は「喜怒哀楽を前面に出し、引っ込み思案の人が多い東北に新しい風を吹き込んでくれた。残念です」と悼んだ。 星野さんがエースとして活躍し、監督も務めた中日の本拠地・名古屋市では、交流があったファンらから「闘将」の死を悼む声が相次いだ。 中日監督時代の星野さん。右は山本昌投手(2000年7月、ナゴヤドーム)=共同 名古屋市守山区のうどん店「かどふく」の創業者、福原索子さん(95)は約40年前にイベントで星野さんと一緒に写真を撮ったことを機に熱烈なファンになり、沖縄キャンプには毎年足を運んだ。「『おふくろみたい』と慕ってくれ、私も息子のように思っていました。安らかに眠ってほしい」 星野さんが阪神の監督を退任し、名古屋市に住んでいたころ通っていた喫茶店「Bon」(千種区)の女性経営者(68)は初めて会った時のことを覚えている。「監督」と呼んだら「もう監督じゃねぇ。仙ちゃんでええわ」と気さくに応えてくれたという。「『お母ちゃん、おはよう。いつものアメリカンくれー』って声が懐かしい」と早すぎる別れを惜しんだ。〔共同〕

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