Home Japan Japan — in Japanese 「暮らし向上、対話しかない」脱北した男性

「暮らし向上、対話しかない」脱北した男性

200
0
SHARE

24日に中止が発表された米朝首脳会談。 2006年に脱北し、 木下公勝の 名前で活動する東京都の 70代の 男性は、 会談が実現すれば和平の 実現に加え、 「経済制裁の 緩和によって北朝鮮の 人たちの 暮らしがよくなる」 と期待を寄せてきた。 突然の 中止の 発表に肩を落としつつ、 対話の 継続を願った。
24日に中止が発表された米朝首脳会談。2006年に脱北し、木下公勝の名前で活動する東京都の70代の男性は、会談が実現すれば和平の実現に加え、「経済制裁の緩和によって北朝鮮の人たちの暮らしがよくなる」と期待を寄せてきた。突然の中止の発表に肩を落としつつ、対話の継続を願った。
「みんな『核より飯をくれ』と思っている。口に出せないだけ」
北陸地方に生まれた在日2世。高校生だった1960年、帰還事業に参加し、家族で北朝鮮へ渡った。当時、「地上の楽園」ともてはやされていた。
しかし、新潟から船で渡ると「だまされたと思った」。出迎えに来た子供たちはあかまみれで悪臭が鼻を突いた。「本当のことは切手の裏に書いて手紙を送れ」と言った日本に残る兄に「ここへくるべからず」と送った。
言葉も分からず、学校では「半日本人」と差別された。他国をおとしめる思想教育に嫌悪感を覚えたが、知らないふりをした。
炭鉱や工場で働いて食いつないだ。90年代後半には数百万人が亡くなったといわれる大飢饉(ききん)を経験。1日1食もままならず、山で餓死した親子を目撃した時は「次は自分の番か」と背筋が凍った。
中朝国境の川を渡って脱北。「言いたいことを言える、本当の自由を手にした」と話す。ただ、北朝鮮に暮らす人たちが頭から離れない。地方に今も住む親族の家は2016年、水害で流された。近年、貧富の差が拡大していると感じる。そんな中、核実験やミサイル発射を繰り返すのを見て、「そんな金があるなら食糧問題を解決しろ」と憤ってきた。
「核で権力を支えてきた北朝鮮が簡単に核を手放すとは思えない」と思う一方、「経済制裁が緩めば国民の生活も少しはよくなるだろう。非核化すれば東アジアの平和にもつながる」と対話に期待していた。期待は砕かれたが、希望は捨てていない。「北朝鮮は米国と対話するしか道がない。必ず再開すると思う」【竹内麻子】

Continue reading...