第92回都市対抗野球大会(毎日新聞社、日本野球連盟主催)第4日の1日、ミキハウス(大阪府八尾市)が16年ぶりに東京ドームに帰ってきた。2005年に初出場した直後に廃部となり、3年前に復活したチームを率いたのは陣田匡人(まさと)監督(42)。1度目に出場した時の先発外野手だった。
1回戦に臨んだミキハウス …
第92回都市対抗野球大会(毎日新聞社、日本野球連盟主催)第4日の1日、ミキハウス(大阪府八尾市)が16年ぶりに東京ドームに帰ってきた。2005年に初出場した直後に廃部となり、3年前に復活したチームを率いたのは陣田匡人(まさと)監督(42)。1度目に出場した時の先発外野手だった。 1回戦に臨んだミキハウスは東京ガス(東京都)に2―3で敗れたものの、優勝候補をあと一歩のところまで追い詰めた。16年前も初戦敗退で、悲願の初勝利はつかめなかったが、陣田さんは「選手たちはここで野球ができるうれしさを身に染みて感じたと思う」と語った。 1995年、ミキハウス野球部は奈良県広陵町を本拠として創部。ところが不況のあおりで04年に廃部の方針が決まった。若手の主力は移籍し、陣田さんら8人だけが残った。「もし熱意が残っているなら都市対抗までは存続できるが、どうする?」。会社側から言い渡された8人は「野球をするのも最後かもしれない」と気持ちを一つにした。部員集めのため、社業に専念していたOB10人に復帰を頼み込んだ。 選手らの職場は3府県に分かれ、全体練習は週1回に限られる中、自主練習を重ねた。05年は奈良県から代表1チームが都市対抗に出場できる特例があり、ミキハウスは都市対抗への切符をつかんだ。陣田さんは「最後に本大会に進めて本当にうれしかった」と振り返る。一方で結果は初戦敗退。「出場だけで満足していた。あっという間に終わってしまった」。後悔を引きずったまま、チームは幕を下ろした。 陣田さんは他チームに移ったが、そこも約2年で廃部になった。野球から一旦離れたが、テレビで都市対抗の試合を夢中で見ている自分に気付く。「やっぱり野球は切っても切り離せない」。09年にミキハウスがスポンサーとなったクラブチームに入ると、会社の経営回復もあって18年に企業チームとして復活。今年6月、陣田さんはコーチから監督となり、チームを2度目の都市対抗に導いた。 「東京ドームに戻れる日が来るとは夢にも思わなかった」と試合前に語っていた陣田さん。2度目の挑戦は「独特の緊張感があった」と話し、次に向けて気を引き締めた。「この悔しさを糧に、来年もここに帰ってこられるようしっかりやっていきたい」 第92回都市対抗野球の特集サイト( https://mainichi.