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南光の「偏愛」上方芸能:池永伸さんとのトーク拡大版

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桂南光さんが長年通う「常夜燈(とう)」 は創業72年。 二代目・ 池永伸さんが語る味と人の 歴史に、 南光さんは納得の 表情で聴き入りました。 【焼け跡の 大阪で開店】 桂南光 戦後すぐご両親がお店を始めはった。 最初から関東煮(だき)をやってはったんですか?
桂南光さんが長年通う「常夜燈(とう)」は創業72年。二代目・池永伸さんが語る味と人の歴史に、南光さんは納得の表情で聴き入りました。
【焼け跡の大阪で開店】
桂南光 戦後すぐご両親がお店を始めはった。最初から関東煮(だき)をやってはったんですか?
池永伸 最初は巻きずしを売った。僕の2人の兄が戦死しましてね、お袋は毎日嘆き悲しんで、おやじはそれを見てんのがつろうてしゃあなかった。そこへ、お初天神の焼け跡で宮司さんから「ここで市やってほしい」と頼まれてね。知り合いに声をかけて、何でもええから売ってくれ、と。ほんでうちは、お袋が何作らせてもうまかったから、小ぎれいな巻き寿司でもやろかとなった。お袋に元気になってほしいという気持ちもありましたやろな。巻き寿司は10円と8円、茶碗蒸し8円、蒸し寿司10円。おやじが天神さんの表門出たとこの灯籠(とうろう)の周りに台つけて椅子置いて、バラック建てて始めたんですわ。
南光 それで「常夜燈」に。
池永 最初はね、「灯籠屋」がなまって「とうろんや」「とうろんや」と呼ばれてた。
南光 とうろんや! 大阪らしてよろしな。客が勝手に呼び始めたんかな。そないして、場所で勝手に呼ぶのも大阪らしいですね。
池永 そうでっしゃろ。ずっと「とうろんや」でも良かってんけど、昭和22(1947)年、その頃もう、前の晩から巻いた巻き寿司なんか売れへんようなってたからね、なんか大衆に向くやつ、というので関東煮屋やろ、ということになった。その時に名前も「常夜燈」に。ばちゃん(母)は変わったやつやろ、と言うて、手作りのもんでやることになったんです。
ばちゃんはええ家で生まれてるからおいしいもんを知ってた。ロールキャベツは、このダシでキャベツ炊いたらきっとおいしいやろというところから始まった。キャベツを食べてもらうんやから、具は少うてええ、ただし吟味したミンチで、とかね。鯛(たい)のうしおからヒントを得て、鯛の頭が一番ええダシ出るんや、とか。
南光 へえ。食通やったんですね。お父さんは料理は?
池永 おやじは元庭師でね。関東煮のことはお袋に任せてました。店に出てお客さんの相手するんがおやじ。若い時分は極道して、いっぺん勘当されて京都の南座で大道具の仕事してたこともあったらしい。お嬢さんやったお袋とどこでどう知りおうたんか。お袋は反対を押し切って、勘当されて一緒になりました。
南光 魅力的なお父さんやったんでしょうな。
池永 なんせ遊び人やったから何でもよう知ってました。森繁(久弥)さんにもいろいろ教えたりしてましたんやで。ある時、「ベンゲットの他あやん」の芝居(織田作之助「わが町」が原作の舞台「佐渡島他吉の生涯」)で、ホテルのボーイが腕時計を見るシーンがあったんやが、おやじが「あの時代にボーイが腕時計なんか持ってるはずない」と言うて、懐中時計に変わったなんてこともありました。
南光 森繁さんはお父さんの人柄にもほれてはったんでしょうね。
池永 夏は麻の法被に「森繁」と染め抜いてね、それ着て過ごしてました。
南光 森繁さんのお気に入りのタネは何やったんですか?
池永 玉子(たまご)とがんもどきがお好きでしたな。あと鱧(はも)のすり身を蒸した「すまき」ね。
南光 楽屋へもしょっちゅう持っていきはったんですか?
池永 そうです。一番最初はね、梅田コマ(劇場)で「暖簾(のれん)」の芝居しはったときですわ。当初5日間の予定が15日ほど延びて。あの頃はそんなことがあったんですな。
森繁さんの話のうまさは特別でした。一緒に店へ来た他の役者さんが負けんように話しはることもあったけど、全然違いましたな。
【相伝の味】
南光 大将は電電公社に勤めてはったんでしょ? お店を継ぐ気はなかったんですか?
池永 工業高校の電気科出ましてな、電電公社へ勤めに行ってました。でも店をよう手伝うてました。嫌いやなかったんでね。昭和38年に勤めを辞めて、39年の正月に正式に代替わりしました。それで、ばちゃん(母)を安心さしてしもたんかなあ。その年に69で亡くなりました。
南光 でもお母さんはうれしかったでしょうね。レシピは何か書いたものとか?
池永 書いたもんなんかあらしません。見て覚え、てなもんですわな。一番最初にお袋が始めた通り、今もやってます。けど、泣かされましたで。まだ店にばちゃんが出てる時ね、ちょっと休憩するわ、て奥へ入って僕が代わりに立ってまっしゃろ。そこへ入ってきたお客さん、「今日は若か」言うて一口食べて「味がちゃうな」て。一緒やがな(苦笑)。
南光 僕が越さしてもろてからも40年たちますが、全然味が変わってない。それはすごいことです。
池永 うちは(笑福亭)福笑が若い時バイトしてた。
南光 そうそう。僕はそれで連れてきてもろたんが最初やったんかなあ。若い頃はなんぼ食べても安かってんけど、負けてくれてはったんでしょ?
池永 いやいや(笑い)。
南光 いや、絶対負けてくれてはったわ。それにね、僕が客に「おい!べかこ!」て呼ばれた時ね、大将が「そんな失礼なこと言いなはんな」て、その客をしかってくれはった。すごい人やな、と思いました。
池永 昔は(俳優の)佐分利信さんや(小説家の)川口松太郎さん・(女優の)三益愛子さん夫妻、(歌手の)淡谷のり子さん、越路吹雪さんらにも来ていただいてました。ダシで炊いた「茶めし」をお出ししてるんですが、ここにダシをかけたやつを中尾彬さんが「中尾どんぶり」って名前で出してくれ、って言うてはります。いろんなことがあって、この店は面白いです。

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