阪神大震災から17日で22年となった。 かつて廃虚が広がった阪神間は、美しい街によみがえった。慰霊碑のたぐいを除けば、痕跡を見かけることはない。震災を知らない世代が増え、風化も進んでいる。 しかし、大震災が今も影を落としていることを忘れてはならない。 神戸市のモニュメントには、震災と関係があった物故者の名前が新たに7人加わった。夢でもいいから死別した家族に会いたいと今も願っている遺族がいる。痛々しく、胸が締め付けられる。 隠れた苦痛に改めて目をこらしたい。それは、阪神大震災だけの問題ではない。 その後も日本は、新潟県中越地震、東日本大震災、そして昨年の熊本と、阪神と同じ震度7を記録する大地震に相次いで見舞われている。 時の経過とともに、世間の関心にも濃淡の差が生じてしまうだろう。しかし見えにくくはなっていても、被災地が抱える問題に敏感であるべきことを、阪神での22年の月日は教えてくれる。 東日本大震災は6年近くたった昨年末でもなお、13万を超える人が避難生活を送っている。昨年、東京電力福島第1原発事故で避難している子供へのいじめが、相次いで明らかになった。被災者の痛みへの共感を全く欠いている。 熊本では、倒壊家屋の解体すら進んでいないのが現状である。 災害には「自助」と「共助」が不可欠だ。困っている人に何ができるのか、改めて考えたい。 ボランティアや、心的外傷に対応する「心のケア」は、阪神大震災で定着した。近年の災害でも効果を見せている。被災者をいたわる心を持ち続けよう。 国が災害への備えを万全なものにしなければならないことは、いうまでもあるまい。阪神をきっかけに整備された被災者への公的支援が、新潟県糸魚川(いといがわ)市の大火にも適用されたのは、望ましい。 しかし緊急事態条項の創設を含む憲法改正議論は、遅々として進んでいない。災害時に一時的に政府に権限を集中させて国民を守る条項の整備は、急務である。災害があってからでは遅い。 巨大地震はいつかやってくる。万全の態勢で備え、被害を少しでも小さくすることが、阪神大震災で犠牲になった6434人に対する、私たちの責務だろう。