自民党の元衆議院議員で、大蔵大臣などを務めた林義郎氏が3日夜、、多臓器不全のため、東京都内の医療施設で亡くなりました。89歳でした。 林氏は山口県下関市の出身で、旧通産省を経て、昭和44年の衆議院選挙で旧山口1区から立候補して初当選し、11回連続で当選しました。 この間、昭和57年に、第1次中曽根内閣の厚生大臣として初入閣し、その後、衆議院の国際平和協力に関する特別委員会の委員長として、自衛隊をPKO活動に参加させるためのPKO協力法の成立に力を尽くしました。 税制や財政の分野にも精通していた林氏は、宮沢改造内閣で大蔵大臣に起用され、自民党の税制調査会長なども務めました。また、議員外交にも積極的で、日中友好議員連盟の会長も務めました。 一方、平成元年8月に行われた当時の宇野総理大臣の後任を選ぶ、自民党総裁選挙に立候補しましたが、海部元総理大臣に敗れました。 林氏は平成15年の衆議院選挙には立候補せず、政界を引退していて、3日午後8時ごろ、多臓器不全のため、東京都内の医療施設で亡くなりました。自民党の林芳正元農林水産大臣は、林氏の長男です。
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