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滋賀学園・棚原、沖縄伝統「宜野座カーブ」で投手戦制す

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(22日、 選抜高校野球 滋賀学園6―2東海大市原望洋) かつて、 甲子園を席巻した変化球がある。 「宜野座カーブ」 。 2001年春に4強入りした宜野座(沖縄)の 投手が操った球。 独特な手首の 使い方で、 一度浮…
(22日、選抜高校野球 滋賀学園6―2東海大市原望洋)
かつて、甲子園を席巻した変化球がある。
「宜野座カーブ」。2001年春に4強入りした宜野座(沖縄)の投手が操った球。独特な手首の使い方で、一度浮き上がった後、縦に大きく落ちるのが特徴だった。
その使い手が滋賀学園にいた。背番号10の棚原だ。
エース神村が腰の張りを訴え、任された先発マウンド。棚原自身は「縦のスライダー」と呼ぶその球が最大の武器となった。
五回までに2点を失ったが、「肩の力を抜こう」と修正した。六回以降は無失点。十一回は落差の大きいその球で連続三振を奪うと、十三回2死一、二塁のピンチではカウントを稼ぐのに使い、最後は直球で12個目の三振を奪った。
「沖縄伝統の変化球です」。棚原は誇らしげに言う。沖縄で育った中学時代、インターネットの動画サイトで宜野座カーブを見つけた。投げ方を覚え、アレンジし、高校1年の秋に縦のスライダーに改良して投げ始めた。鋭く大きな変化に、東海大市原望洋の主将塚越は「見極めができなかった」と悔しがった。
8強入りした昨春もエースだった神村の力を借りなくても勝つ。それが秋からのチームのテーマだった。
冬に体重を7キロ増やし、球速も体力も向上した棚原は「絶対抑えて、自分が勝ちに導きたかった」。大会屈指の右腕、金久保との投手戦で192球の完投勝ち。故郷のDNAが詰まった決め球の切れ味も、最後まで落ちなかった。( 山口史朗 )

○真藤(滋) 十四回に突き放す中前適時打。「初球の真っすぐを狙っていた。(投手の)棚原が粘ってくれていたので、楽にしてあげたかった」

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