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サーローさんも喜び、核禁止条約交渉で演説

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ICANの 活動に協力し、 7月の 核兵器禁止条約の 採択に貢献したカナダ在住の 被爆者、 サーロー節子さん(85)は、 ICANの ノーベル平和賞受賞の 決定を心から喜んだ。 受賞決定は6日未明、
【トロント=共同】ICANの活動に協力し、7月の核兵器禁止条約の採択に貢献したカナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(85)は、ICANのノーベル平和賞受賞の決定を心から喜んだ。 カナダ・トロントの自宅で、ICANのノーベル平和賞受賞決定に驚き、喜ぶサーロー節子さん=共同 受賞決定は6日未明、トロントの自宅でインターネット中継を通じて知った。満面の笑みで両手を広げ、続いて胸に当てたサーローさん。「うれしくて言葉が見つからない。亡くなった被爆者の皆さんに『喜んでください』と伝えたい」 3月の条約交渉会合では、ICANの関係者として演説。13歳のころ、広島で体験した原爆の惨劇と、核廃絶の必要性を英語で力強く語り続ける活動は国際的な注目を集めた。 米国留学を経て1955年、カナダ人男性と結婚してトロントへ移住。当時は被爆した経験を話すと、旧日本軍の真珠湾攻撃への強い批判が返ってきて傷ついた。 74年、日本で開催された原水爆禁止世界大会に参加し、核廃絶を懸命に訴える他の被爆者たちに触れて「自分も被爆者として生きる」と決意。以来、若者や政府関係者に信念を伝えてきた。 ただ、米国などでは、核兵器は抑止力として欠かせないとの考え方が根強い。「どんなに訴えても聞いてもらえない。私には日本の被爆者のように助け合う仲間がおらず、1人ではつらい」とこぼしたこともある。 それでも活動をやめなかった。核禁止条約交渉の議長だったコスタリカのホワイト氏は条約採択後「あなたが鼓舞してくれたおかげで、やっと私たちは世界に向かって『条約ができた』と宣言できる。ありがとう」とねぎらった。 ICANの受賞決定を受け、サーローさんは目を輝かせながら「難しいけれど、生きているうちに核兵器がなくなるよう、がんばりたい」と改めて話した。

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