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「千葉一筋」福浦和也 地元に支えられ指導者に恵まれ2000本

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プロ野球で、 ロッテ一筋25年目の ベテラン、 福浦和也選手が史上52人目の 通算2000本安打を達成しました。 千葉で生まれ、 千…
プロ野球で、ロッテ一筋25年目のベテラン、福浦和也選手が史上52人目の通算2000本安打を達成しました。千葉で生まれ、千葉の高校に進み、千葉の球団、ロッテで大記録を達成した福浦選手、地元とともに歩んでつかんだ2000本安打でした。 「大勢のファンがいる本拠地で達成したことがうれしい」。2000本安打を達成した直後の記者会見で最初に口にしたのがこのことばでした。 千葉出身の福浦選手にとって、ホームグラウンドのZOZOマリンスタジアムで2000本安打を達成することに強いこだわりがありました。 福浦選手は達成前に思いを聞いたとき、「優勝も経験してきたけれど、マリンでは胴上げもビールかけもしていない。だから千葉で記録を達成できたら最高」と自身を鼓舞しているようにも見えました。 有言実行で記録を達成し、ツーベースを打った二塁ベース上で「無意識に」ガッツポーズが出ました。 そんな福浦選手ですが入団当初は大きな期待を背負う選手ではありませんでした。 ドラフトの指名順位は7位。 ピッチャーとして入団し、最初の背番号は「70」でした。 「地元の球団から指名されてうれしかった」と思う一方で、背番号をみて「お前はコーチか」というやじを受けたこともあったといいます。 プロ1年目、2軍の打撃コーチを務めていた山本功児さんとの出会いが福浦選手の野球人生を変えました。 バッティングセンスを評価され、野手転向を勧められました。 ピッチャーに未練のあった福浦選手は「山本さんに会うたびに転向しろと言われるので逃げ回っていた」と当時を振り返ります。 それでも7月には「やるしかない」と決心。 2000本安打への歩みはこの出会いから始まりました。 入団から3年間は2軍暮らしが続きましたが、4年目の7月にプロ初ヒットを打つと、そこからヒットを積み重ね、山本功児さんが1軍の監督を務めた2001年には初のタイトルとなる首位打者に。 その8年後には1500本安打も達成していました。 しかし2000本まではそこから9年かかりました。 ヒットのペースが落ち「3割を打てなくなった頃からきつかった」と振り返りました。 その一方で福浦選手に対するファンの期待は高まりました。 もともと熱い応援で知られているロッテのファンですが、多くが福浦選手の2000本を待ち望むようになりました。 1本のヒットを打つ難しさを実感する中で、くじけそうになっても支えとなっていたのは、毎試合、本拠地のライトスタンドから声援を送ってくれるファンの存在でした。 「あれだけ応援してくれて、なんとか期待に応えようとやってきた」と福浦選手。 ファンには感謝しかないと話します。 そして今シーズン、新たな転機がありました。 井口資仁監督の就任です。 2000本安打に残り38本、井口監督は福浦選手の記録達成を後押ししました。 「福浦の2000本を達成させるのは自分の仕事」と福浦選手の先発出場を増やしました。 みずからの経験から、疲労をためないよう多くを守備につかない「指名打者」で起用しました。 この配慮もあって、残っていた38本を1本1本着実に減らし、記録達成を迎えました。 試合後の記者会見、福浦選手は報道陣から次の目標を問われるとこう言いました。 「井口監督をマリンで胴上げすること」。 43歳となる来シーズンに向けた現役続行宣言でした。 野球人生を変えた今は亡き山本功児さん、記録を大きく後押ししてくれた井口監督、そして声をからして声援を送ってくれた地元 千葉のファンのため、福浦選手はまだまだバットを振り続けます。

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