フィギュアスケート男子の 羽生結弦(ANA)に国民栄誉賞が授与されることが1日、 決まった。 羽生は日本スケート連盟を通じて発表したコメントで「この 賞が被災地やスケート界にとって明るい光となることを願っております」 と、 地元に思いをはせた。
フィギュアスケート男子の羽生結弦(ANA)に国民栄誉賞が授与されることが1日、決まった。羽生は日本スケート連盟を通じて発表したコメントで「この賞が被災地やスケート界にとって明るい光となることを願っております」と、地元に思いをはせた。
2011年3月11日に東日本大震災が起きた時、16歳だった羽生は郷里の仙台市のリンクで練習していた。大きな揺れが起きると、スケート靴を履いたまま命からがら外へ逃げた。避難所生活を経験し、リンクは閉鎖。その後は全国のリンクを転々としながら練習した。
それから7年がたとうとしていた今年2月17日。羽生は五輪連覇を達成した直後の取材で震災について問われ、考え込んだ。その後の記者会見で改めて問われると、少し沈黙。そして「本当に大変な日々でした」と振り返った後に、こう答えた。「僕は地震の被害にしか遭っていない。それ以上に苦しんでいた方々がたくさんいると、津波や原発で被災した方々の地に行って、思いました」
羽生は機会を見つけては被災地を訪れ、被災者と交流し、励ましてきた。昨年8月、羽生は言った。「あれ以上苦しいこと、悲しいこと、不便なこともない。だからつらい時、苦しい時でも乗り越えられる。あれがあったから今があるんだよな」。被災地出身の選手である自負と、被災地の人々を思う気持ちも力にして、何度も世界の頂点に立った。
今年4月22日に仙台市で行われた、五輪連覇を報告する凱旋(がいせん)パレードでは10万8000人に祝福された。「復興の手助けとなるような、きっかけとなるような行動をしていけるように心がけないと」。多くのものを背負いすぎている感もするが、23歳のスターは逃げない。【福田智沙】