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その経営哲学は「リスクは必ずチャンス」

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「失敗すれば去る」 、 V字回復で「ゴーン流」 ともてはやされ 「ルノーの ためではなく、 日産の ために日本に来ました」 。 これはゴーン会長の 著書「カルロス・ ゴーン」 (日本経済新聞出版社)で紹介されているゴーン会長が初出席した日産の 株主総会(1999年6月25日)での あいさつだ。 同社を傘下におさめたルノーから
「ルノーのためではなく、日産のために日本に来ました」。これはゴーン会長の著書「カルロス・ゴーン」(日本経済新聞出版社)で紹介されているゴーン会長が初出席した日産の株主総会(1999年6月25日)でのあいさつだ。同社を傘下におさめたルノーから送り込まれたゴーン会長を、経営不振にあえぐ日産の株主たちは温かい拍手で迎えたという。
ゴーン会長は同年10月、従業員14%の削減や4工場の閉鎖などを含む「日産リバイバルプラン」を公表した。「失敗すれば去る」と明言し、2001年3月期決算では過去最高益を記録。「V字回復」を成し遂げたその手腕は「ゴーン流」ともてはやされた。
著書によると、ゴーン会長は54年にブラジルで生まれた。祖父が中東レバノンからの移民。60年ごろに同国へ移住して少年期を過ごした後、母の勧めで大学進学のために渡仏し、国立理工科学校などを卒業後にタイヤメーカーのミシュランに就職。30代でブラジル法人や米国法人の社長を歴任し、96年にはルノーに引き抜かれ収益を急回復させた。このころから大胆なリストラ策で「コストカッター」と呼ばれるようになったという。
その経営哲学は「リスクは必ずチャンスになる」。業績の悪い会社に入る機会があれば、「入るべきだ」と助言しているといい、「とてつもないギャンブルだった」というルノーと日産の提携も成功させた。自らのルーツでもある「多様性」を重視し、部門を超えて優秀な人材を集める手法を好んできた。
一方でその強引な手法は時にあつれきも生んだ。ルノーに入社した際はベルギー工場閉鎖などを断行し、同国内で不買運動や反対デモも起こった。05年にルノーの社長を兼務するようになってからは日本に滞在する時間は減り、経営者としての高い報酬がしばしば批判の的になった。
ゴーン会長は著書で日本への感謝を繰り返しつつ、日産社内で信頼を得た理由をこう振り返っている。「従業員との対話を欠かさず、ともに結果を出し、常に学び続けているからだ」。だが、長期にわたる「ゴーン支配」の下で部下たちの評価は変わっていたのかもしれない。ゴーン会長の逮捕後の記者会見で、西川広人社長はこう突き放している。「1人に権限が集中しすぎた」「権力の座に長くつき、業務面でも弊害が見えた」

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