第91回都市対抗野球大会(毎日新聞社、日本野球連盟主催)は23日、大会第2日の第2試合でNTT西日本(大阪市)が東芝(川崎市)との戦いに臨んだ。NTT西のベンチに掛けられたのは、あるじを失った「背番号6」のユニホーム。選手たちは、「亡きチームメートのために日本一を」と心を一つに戦った。 …
第91回都市対抗野球大会(毎日新聞社、日本野球連盟主催)は23日、大会第2日の第2試合でNTT西日本(大阪市)が東芝(川崎市)との戦いに臨んだ。 NTT西のベンチに掛けられたのは、あるじを失った「背番号6」のユニホーム。選手たちは、「亡きチームメートのために日本一を」と心を一つに戦った。 今春、23歳の若さで亡くなったのは中井諒さん。昨春、新人としてチーム入りしたが、半年後の練習中に右膝の痛みを訴えてグラウンドに倒れ込んだ。 診断結果は、骨に悪性腫瘍ができる骨肉腫。入院して闘病生活を始めた。今年に入り、治療で骨を切除した部分に人工関節を入れる手術を受けた。しかし、必死の闘病とチームメートらの願いもかなわず、中井さんは今年4月に逝去した。 中井さんは大阪出身。一人っ子で、幼いころに祖父と一緒にプラスチックのバットとボールで遊んだのが野球との出合いだったという。高校は甲子園を夢見て、故郷から離れた青森山田高に入った。甲子園出場はかなわなかったが、進学先の桐蔭横浜大でも野球を続け、卒業後に地元のNTT西日本に入社した。 ポジションは遊撃手。昨年の都市対抗野球大会では準々決勝で敗れるまで3試合全て9番・遊撃手で先発出場し、初戦のJR九州(北九州市)戦では中前へ抜けるかという打球を華麗な守備でアウトにした。チームで特に親交が深かった日下部光主将(24)は「守備は今まで見た中でも光っていて、頼れる存在だった。生意気なんですけど、自分をしっかり持っていた」と評する。 チームは復帰を祈って、中井さんの似顔絵が胸に入ったTシャツをひそかに作製していた。津田導(とおる)マネジャー(34)は「グラウンドに戻って来た時に、みんなで着てサプライズで迎えようと思っていた」と話す。願いはかなわなかったが、中井さんの月命日にチームはこのTシャツを着て練習に励んできた。このことを知って恐縮する中井さんの母に、日下部主将は「チームが一つになれるんです」と伝えた。 葬儀の遺影は、昨年の都市対抗野球大会・近畿2次予選第3代表決定戦で0―0の九回1死満塁から決勝の「2ランスクイズ」を決め、チームメートに向かい両手を突き上げた場面だった。生前、中井さんは日下部主将に「俺が復帰するまで日本一にならんといて」と冗談っぽく話していたという。 NTT西の選手らは23日の試合に喪章をつけて臨み勝利を収めた。ベンチには中井さんのユニホームとともに、最後に使ったグラブも置かれた。両親から「チームのみんなの士気が高まれば」と預かったものだ。日下部主将は試合後、「みんな言葉には出さないが、心の中に中井のために負けられんという気持ちがある」と語り、さらなる躍進を誓った。 毎日新聞では公式サイト(https://mainichi.