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聞こえる、あの人の声「前を向け」 北海道地震1カ月

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未明に突き上げるような激震に襲われ、 36人が犠牲になった北海道厚真(あつま)町。 人々が肩を寄せ、 暮らしてきた集落を、 崩れた土砂が一瞬で押しつぶした。 それから1カ月。 失われた命を悼みながら、 もう一度、 …
未明に突き上げるような激震に襲われ、36人が犠牲になった北海道厚真(あつま)町。人々が肩を寄せ、暮らしてきた集落を、崩れた土砂が一瞬で押しつぶした。それから1カ月。失われた命を悼みながら、もう一度、あの町を取り戻そうと、町の人たちは一日一日を送っている。
「痛い!」。10月初め、町で唯一の診療所「あつまクリニック」。注射で泣き出す子どもの声が聞こえた。「これが日常かなと思う」。院長の石間巧さん(57)は笑った。
あの日、朝から患者が次々とやってきた。家族を亡くした17歳の男子高校生は待合室でしゃくりあげて泣き、看護師に背中をさすられていた。泥で真っ黒な80歳の男性の手足を洗おうとすると「そんなこといいから。いいんだから」とベッドから起き上がろうとした。56歳の女性は手足に多くの傷があった。「こんな時間にすみません。本当にすみません」と何度も謝り続けた。
水も電気もない中、ペットボトルの水で患部を洗い、ペンライトの光を頼りに傷を縫った。約60人の診察を終え、午後7時ごろ、スタッフを帰した後も、玄関の鍵をかけず、来るかもしれない患者を待った。
程なく、警察から検視の依頼が入り、町役場の裏に設けられた遺体安置所に向かった。安置所の遺体はなじみの患者ばかりだったが、静かに横たわる姿に最初は誰だかわからなかった。「海にポカンと浮かんだ孤島にいるようだった。どこからも助けがこないような気がした」
12年前、当時のクリニック院長に誘われ、故郷に戻った。札幌市や室蘭市の病院で長年勤めたが、幼いころ治療してくれた町医者に憧れていた。地元に戻り、診療を続けると、呼び名は「タクちゃん」から「先生」に変わっていった。少し認めてもらえたような気がしていた。
震災から1カ月。避難生活が長引き、腰を痛める人や不眠を訴える人も出てきた。患者の多くはまだ日常を取り戻そうと無理をしているようにみえる。「あの朝、『なんとかして』と思った患者さんたちが一歩目に選んだのが、この病院だった。これからもその一歩を受け止められる場所でありたい」(今泉奏)
10月に入り、農家の高橋清吾さん(43)は米の収穫に追われている。1人でコンバインに座り、豊かに実った稲の穂を見つめていると、ふとあの日のことを思い出し、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。「目の前まで行ったのに叔父さんたちを助けられなかった」
6日未明、強い揺れで跳び起きた。防災無線が鳴り響く。消防団員の高橋さんは、他の団員たちと車で町内を回った。目に飛び込んできたのは、叔父の松下一彦さん(63)の家だった。土砂で50~60メートル流され、屋根まで埋まっていた。叔母の美恵子さん、いとこの陽輔さんもいるはずだ。
大声で名を呼ぶと、「清吾君かい。ここだよー」と叔母の声が聞こえた。がれきをどけると血を流した美恵子さんが見え、夢中で助け出した。しかし、何度呼んでも、一彦さんと陽輔さんの声は返ってこなかった。
翌日に一彦さん、2日後に陽輔さんの遺体と対面した。涙が止まらなかった。
小さい頃から「かずおじさん」と慕った。同じ農家で、麦の育て方を教えてくれた。今年のお盆も家を訪ねると、笑顔で「清吾、ねまんなさい!(座んなさい)」と言って、缶ビールを開けてくれた。
自分を責める気持ちは変わらない。でも、あの時、一彦さんは「美恵子だけでも助けろ」と自分を呼んだんじゃないかと思う。「『いい加減、前を向け』って声も聞こえるんだよね」
町で生まれ育ち、22歳で消防団に入った。人口約4600人の小さな町で、何代も前からの付き合いが多く、みんなが身内のようだった。地震に襲われ、町は大きな被害を受けたが、消防団員90人はまたサイレンが鳴れば出動するつもりだ。
「右向けば田んぼ、左向けば山の、元の厚真に戻るべさ。生き残ったもんは、頑張って元に戻すしかない」。高橋さんは涙をぬぐい、そう話した。(遠藤美波)

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