羽田孜元首相が28日午前7時6分、 老衰の ため、 東京都内の 自宅で死去した。 82歳だった。 東京都出身。 政治改革の 実現を唱えて自民党を離党し、 1994年に非自民連立政権で首相を担ったが、 在職日数は現行憲法下で最短の 64日間だった。 葬儀は9月8日午後1時から東京都港
羽田孜元首相が28日午前7時6分、老衰のため、東京都内の自宅で死去した。82歳だった。東京都出身。政治改革の実現を唱えて自民党を離党し、1994年に非自民連立政権で首相を担ったが、在職日数は現行憲法下で最短の64日間だった。葬儀は9月8日午後1時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻綏子(やすこ)さん。
〔写真特集〕宰相の系譜 明治・大正から現在~羽田孜氏~
小田急バス勤務を経て、衆院議員だった父武嗣郎氏の後を継ぎ、69年の衆院選に旧長野2区から自民党公認で出馬し、初当選。連続当選14回。93年に同党を離れ、旧新生、新進、太陽、民政各党を経て、98年に民主党入りした。 自民党では旧田中、竹下両派に所属し、農林水産相や蔵相を歴任。当選同期の小沢一郎氏らとともに竹下派「七奉行」と呼ばれた。竹下派継承をめぐる対立で小沢氏らと同派を離脱すると、宮沢内閣不信任決議案に賛成。自民党を離党して新生党を旗揚げし、細川護熙首相の連立内閣に副総理兼外相として入閣した。細川氏が退陣した94年4月、後継の第80代首相に就いた。 だが、政権内の対立で旧社会党が連立を離脱し、少数与党に転落。羽田内閣不信任決議案が提出されると、94年6月に総辞職した。 96年の衆院選で新進党が敗北した後、党首だった小沢氏との確執が生じ、離党して太陽党を結成。98年の民主党結党に参画し、幹事長の要職も務めた。2012年の衆院選に出馬せず、政界を引退。13年春の叙勲で桐花大綬章を受章した。 温厚な人柄で、自民党時代は金丸信元副総理から「平時の羽田」と評された。オイルショックを機に考案された半袖ジャケット「省エネルック」の着用を続け、夏場の軽装「クールビズ」の先鞭(せんべん)をつけたことでも知られる。民進党の羽田雄一郎元国土交通相は長男。 (2017/08/28-13: 45) 関連ニュース
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