阪神大震災の発生から22年を迎えた17日、プロ野球・オリックスは選手やスタッフ、球団関係者ら約80人が神戸市のほっともっとフィールド神戸で正午から1分間黙とうし、震災犠牲者の冥福を祈った。今春から選手寮など練習拠点が大阪市の舞洲(まいしま)地区に移転するため、同球場では「最後の祈り」となったが、福良淳一監督は「ここでやれるなら、やりたいですね」と語った。
オリックスは震災のあった1995年に「がんばろうKOBE」を掲げてリーグ優勝、翌96年に当時「グリーンスタジアム神戸」だった同球場で日本一に輝いた。当時チームの主力だった田口壮・2軍監督は「がんばろうKOBEのフレーズでチームが一つになり、言葉の力を知った」と振り返る。壊滅した神戸を離れ、沖縄のキャンプ地に入った時は「3食あって、寝るところがある。野球をしていいのかと、後ろめたさと葛藤だらけだった」。それでもオープン戦には着の身着のままのファンが大勢駆けつけ、「何とか明るい話題を」と夢中でプレーした。本拠地が大阪へ移っても「場所がどこであろうと、忘れることはない」と力を込めた。【前本麻有】
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