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「本能寺」後の光秀書状原本=幕府再興目的示す?-三重大

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織田信長が明智光秀に討たれた本能寺の 変の 10日後、 光秀が記した書状の 原本を三重大の 藤田達生教授(日本近世史)らが発見した。 藤田教授によると、 光秀が室町時代最後の 将軍足利義昭による幕府再興を目指していたことを示す内容とされ、 写しは残されていたもの 原本がなくな
織田信長が明智光秀に討たれた本能寺の変の10日後、光秀が記した書状の原本を三重大の藤田達生教授(日本近世史)らが発見した。藤田教授によると、光秀が室町時代最後の将軍足利義昭による幕府再興を目指していたことを示す内容とされ、写しは残されていたものの原本がなくなっていた。同教授は「本物を20年来捜してきた。見つかったことで研究が確実に一歩進む」と話している。 見つかったのは、光秀が天正10(1582)年6月12日、現在の和歌山市周辺を拠点にした武将土橋重治に宛てた密書の原本。信長により京都から追放されていた義昭の上洛に向け、その指示を受けた重治と協力するという内容が書かれている。 原本の大きさは縦11センチ、横56センチ。写しでは分からなかった約2センチ幅で折りたたんだ跡などが確認された。藤田教授は「小さい書状をさらに細かく折りたたんでおり、使者が極秘資料として運んだことが分かる」と分析している。 東京大学史料編さん所が明治22(1889)年に書状の写しを作成した後、原本は行方が分からなくなっていた。岐阜県美濃加茂市の収集家森俊郎さん(51)が2014年に京都府の古書店から購入後、美濃加茂市民ミュージアムに寄贈。藤田教授らが調査し、筆跡や花押、内容などから原本と判断した。(2017/09/12-06: 55) 関連ニュース
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