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墜落事故で失った2人の娘へ、母は15年かけて千羽鶴を折った

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日本航空の ジャンボ機が1985年に墜落し、 520人が犠牲になった事故は12日、 発生から33年を迎えた。
日本航空のジャンボ機が1985年に墜落し、520人が犠牲になった事故は12日、発生から33年を迎えた。墜落現場となった群馬県上野村の御巣鷹(おすたか)の尾根には早朝から遺族や関係者が集まり、山道を登った。尾根の斜面に点在する犠牲者の墓標や、「昇魂之碑(しょうこんのひ)」の前で手を合わせた。
大阪府の山岡清子さん(72)は、一人でつくった千羽鶴を手に尾根を登った。
大人びた長女の知美さん(当時16)と、明るい次女薫さん(同14)を亡くした。姉妹は親戚宅から帰宅するため123便に乗っていた。親戚が撮った8ミリビデオに、羽田に向かう姿が残っていた。数時間後に人生を終えるとは思えない、愛らしくて、無邪気な笑顔だった。
一番怖いときに、そばにいてあげられなかった。悔いて、自分を責めた。自宅にいると姉妹のことを思い出してつらいから、引っ越しをした。アルバムを捨てようとしたこともある。つとめて、姉妹のことを考えないように暮らした。
およそ15年前。たまたま立ち寄った文房具店で、折り紙が目に入った。1人で千羽鶴を折れば「ごくろうさん」と夢に出てきてくれるかもしれない。ふと、そんな思いがこみ上げた。やっぱり会いたい。
一人のときに居間の机でこつこつと折っては、押し入れの箱にしまった。作業していると姉妹に会いたい気持ちが高まって、ふさぎこみ、作業は何度も中断した。
そんな清子さんの姿を知って、長男の直樹さん(51)は心が痛んだ。「突然、娘を失った母親の悲しみは計り知れない。月日なんて関係ない」
千羽目にたどりつくまでに、15年もの月日がかかった。
12日、1時間半かけて夫(81)と直樹さんと一緒に登った。年を取り、以前より時間がかかるようになった。墓標の前に千羽鶴を置くと、33年分の思いがあふれた。「夢でもいい。抱きしめたい」(張春穎)
(朝日新聞デジタル 2018年08月12日 15時54分)

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