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組織名知らされず 周囲に民家も

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内戦下の シリアで拘束され、 10月に3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの 安田純平さん(44)の 会見詳報の 続きは以下の 通り。 「組織名は最後まで知らされていない」
内戦下のシリアで拘束され、10月に3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)の会見詳報の続きは以下の通り。
日本側には組織名は言わない。組織名を言って身代金を取った場合、身代金の支払いと同時に報復を受ける必要がある。最後まで彼らの組織名というのは基本的には言われていない。
通訳からは「組織名を言わなくても身代金を払うだろうか」というようなことを言われ、それについて私はイスラム国に拘束された2人(後藤健二さん、湯川遥菜さん)に対して「身代金を払う」という形での救出はしていなかったので、それなので、私に対して身代金を払うことはないはずだということを話しました。
日本政府は対応について平等にやるはずだと思っていたので、日本政府は時間稼ぎをしているのではないかと思っていました。11月に後藤さんが拘束され、12月にはご家族への脅迫などがあり、その後、1月末には脅迫のビデオがあるという流れでしたので、本当に日本側が対応しているのであれば、組織名を聞くなりなんなりしながら、時間稼ぎをやってもおかしくないなと思っていました。時間稼ぎしている間に私なりの何か対応があるのではないかと考えながら、私も応対しようと考えていました。
(2015年6月29日から)民家にいた間は「ゲストである」と言われていて、。部屋にはテレビがあり、衛星番組を見ることが出来ました。その地域の発電機があるところと契約していたようで、1日6時間、長いときは10時間電気が来て、テレビを見ることが出来ました。
7月に窓も一度閉められたのですが、その後は観音開きの窓が二つあったのですが、そのうち一つを開けてもらえるようになりました。占められた間はサウナのような状態だったのですが、窓が開けられたことで過ごしやすいような状況になりました。
民家だったので、部屋の中にトイレはなく、1日2回、彼らが食事を運んでくるときにトイレについでに行きました。彼らが見張っている間にトイレに行き、済ませて部屋に戻るという具合でした。
食事は彼らと同じものを持っていて、量も特に少ないこともなく、頻繁に鶏肉であるとか、料理して持ってきたり。それからトルコの料理でピザのような「ラフマジョン」というものがあるのですが、これをトルコの新聞に包んで持ってきたことがあります。
それから通訳の携帯がメッセージを受信したことがありました。ということを考えると、国境からかなり近い場所であろうとは考えていました。周囲には民家がたくさんあって、子どもの声であるとか、女性の声であるとか、外からは大勢の子どもが遊ぶ声が聞こえてきました。イスラム教の礼拝を呼びかける「アザーン」もかなり大きな声で聞こえていたので、この辺りは住宅地であろうとは考えていました。
そうした状態でずっと続いていたんですけど、12月7日に「日本側に送るから個人情報を書け」と言われました。彼らは「日本側から個人情報を書けと言ってきた」ということで、これは生存証明であろうと言いました。(人質と)引き替えに身代金や対価を渡すということは、生きていなければ対価は渡さないわけですから、生存証明は絶対に必要です。
彼らは「それを求めてきたということは払うという流れなんだ」ということで非常に機嫌が良くなりまして。看守の中の一人は「今月中にお前は帰れるからな」と話すなど機嫌が良くなりました。
彼らは身代金が取れると思ったようですが、12月の20日過ぎに連絡が取れなくなったということで、非常に機嫌が悪くなってきました。その後、私が人質状態にあるという報道も流れました。12月の末には「日本側が連絡を絶った」ということも言われました。
非常に機嫌が悪くなり、トイレの行き帰りに尻を蹴ってきたりとかもされるようになりました。で、12月の31日に彼らから「妻の連絡先を教えろ。日本政府に対して圧力をかける」と言われ、妻の電話番号とメールアドレスを書かされました。

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