Домой Japan Japan — in Japanese 林京子さん死去:感傷抑えた筆致、存在感…被爆体験描く

林京子さん死去:感傷抑えた筆致、存在感…被爆体験描く

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評伝 長崎で被爆した自身の 体験をもとに、 一貫して原爆文学を書き続けた作家、 林京子さんが2月19日、 亡くなった。 86歳。 葬儀は近親者で営んだ。 「わたしの 墓標の つもりで書いた」 という「祭りの 場」 で、 芥川賞を受賞したの は1975年。 県立長崎高等女学校3年、 14歳の 8月9日、 学徒動員先で被爆してから30年がたっていた。 同賞史上、 原爆をテーマにした作品が選ばれたの は初めての ことだった。 感傷や悲嘆を排した抑えた筆致が、 圧倒的な存在感を放ちながら非道な現状を伝えた。
長崎で被爆した自身の体験をもとに、一貫して原爆文学を書き続けた作家、林京子さんが2月19日、亡くなった。86歳。葬儀は近親者で営んだ。
「わたしの墓標のつもりで書いた」という「祭りの場」で、芥川賞を受賞したのは1975年。県立長崎高等女学校3年、14歳の8月9日、学徒動員先で被爆してから30年がたっていた。同賞史上、原爆をテーマにした作品が選ばれたのは初めてのことだった。感傷や悲嘆を排した抑えた筆致が、圧倒的な存在感を放ちながら非道な現状を伝えた。
以来、「ギヤマンビードロ」(78年)「無きが如き」(81年)などを通して核と、人間の生の意味を見つめ続けた。被爆について掘り起こす作業は時に反発も受けた。一方では、自身の後遺症や子供への遺伝におびえる日々もあった。しかし、核兵器の使用は「人間の種と、地球に生きる命の存続を否定するものだから」と、テーマから逃げることはなかった。孤独な作業であったろう。
ついには人類史上初めて原爆実験が行われた米国のトリニティ・サイトを訪れ、「長い時間をかけた人間の経験」(2000年、野間文芸賞)などに結実。林作品をたどると、被爆者だけでなく、核兵器を手にした人間が歩んだ道が照射される。東日本大震災の原発事故を経て、なお核の時代に生きる不安を文学はどう引き継いでいったらいいのだろうか。【内藤麻里子】

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