Домой Japan Japan — in Japanese 「女は使えない、と言われたくなくて我慢してきた」メディアのセクハラ、150事例を分析

「女は使えない、と言われたくなくて我慢してきた」メディアのセクハラ、150事例を分析

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「お前の 裸が見たい」 「裸で走れ」 などと言われ、 PTSDに苦しんだ事例なども報告された。
現役の記者などで作る「メディアにおけるセクハラを考える会」(代表=谷口真由美・大阪国際大准教授)は21日、都内で記者会見し、メディアで働く女性たちの被害の報告をまとめた結果を公表した。35人から150のセクハラ事例が報告された。
調査は、福田淳一・前財務次官によるセクハラ問題をきっかけに実施。4月21~30日の間に呼びかけ、新聞・放送局の記者、番組ディレクター、タレントなど計35人の事例をまとめた。
被害を報告した35人は、全員女性。セクハラを受けたときの年齢は、20代が51%と過半数を占め、年齢が上がるにつれ、30代が16%、40代が4%と減っている。ただ、「不明」も29%あった。
加害者は、男性上司(支局長・デスク含む)が20%、男性先輩が11%、男性同僚 8%。ごく少数ながら、女性の上司や先輩もおり、調査では「女性は二次被害に、加害者として加わっている場合がある」としている。社外でも、警察官(幹部含む)で10%、地方議員5%、地方公務員4%などが目立った。
セクハラを受けた場所は、飲食店(カラオケ、バー含む)が25%と最多、職場が14%、取材現場が 11%、出張先が5%、タクシーや相手の車中が5%と、多くが、働いている間のできごとだった。
事例を報告してきた女性たちからは「やっと自分が抱えてきた嫌な思い出を話せるときがきた」「だから女は使えない、と言われたくなくて我慢してきた。これは抗議していい被害なのだと認識したのも何年も経ってから。今の記者にそういう思いをさせたくない」という声も同時に、寄せられているという。
ある警察幹部は、ともかく下ネタしか話さず日常の署内でも、電話取材でも常にエロい話ばかりの人で女性記者の悩みの種だった。その幹部を取材する記者は20代前半の新人が多く、下ネタ攻撃に免疫のない他社の女性記者はうつ病を発症し、最終的に退社した。主なやりとりは、
記者「今日、泊まり勤務なんです」
幹部「じゃ、お風呂入れないから、あそこが臭くなるね」
記者「泊まり勤務でも会社にお風呂があるので、シャワー浴びれます」
幹部「パンツ変えないと、あそこが臭くなるよ」など、
とにかく「あそこが臭い」の話を延々とし、「最近エッチしてるか」とかはもはや普通のやりとり。
地方支局で、自治体選挙を担当していた。ある陣営の担当になり、選対幹部から「票読みについて話すから、ご飯に行こう」と言われた。車でその男性のあとをついて行ったら、山の中。車からその男性がいきなり出てきて私の車に乗り込み、胸を直に触り、キスしてきた。
私は自分のいる場所がどこなのか分からなかったため、地元紙の男性記者に電話を入れ、見えている建物を伝えて助けに来てもらった。翌日、役所に来ていたその男性に、地元紙記者が「次同じことやったら、警察に突き出すからな」と言い、その件は終わった。その男性は地元で飲食店を経営する有名な人だった。
人口約2万5千人の小さな町で記者として勤務していた2年前、取材先の男性からセクハラに遭いました。相手は50代後半の役場幹部だったため、しつこく飲みに誘われ、断りきれませんでした。スナックで体を触られたり「お前の裸が見たい」「裸で走れ」などと言われました。
被害を直属の上司に申し出ましたが、相手側に抗議するなどの対応はしてもらえる事もなく、私もなるべく気にしないようにしていました。加害者が所属する部署を取材する際は、別の記者が担当してくれるよう配慮はありましたが、狭い街なので出くわす事もありました。嫌な記憶は消えず、加害者がいそうな場所をなるべく避けるようになり、取材活動にも影響が出始めました。数カ月が経ってから胸痛が出始め、病院でPTSDと診断されました。過呼吸や不眠、パニック症状などが起き始め、原稿の執筆量が激減してしまったため、診断書を出してもらい、半年後、内勤に異動させてもらいました。
その後は働きながら、病気と闘ってきました。フラッシュバックや抑うつ状態が続き、手首を傷つけたこともありましたが、何とか休職する事はありませんでした。それまでは、ある程度仕事を評価されていたという自負もあっただけに、取材に行けない自分や、ハラスメントの被害に遭った自分を責め続けました。産業医の先生のサポートのお陰で徐々に回復し、去年の秋に寛解。しかし、後遺症は残り、例えば内勤の仕事は問題なくできても、取材先と飲みに行く事を想像しただけで怖くなってしまいました。
他にも被害を受けた事があり、被害は特別起きたことではなく日常茶飯事だという事も分かっていましたし、飲みに行くのは記者にとって欠かせない仕事の一部ですから、そのような状態で記者を続けていくのは実質的には困難と考え、この春退職しました。今も福田事務次官のニュースをテレビで見ると、具合が悪くなる事があり、最近はあまりニュースを見ないようにしています。
特に芸能人のコメンテーターは、記者の仕事を十分に理解しないまま被害者にも非があるような言い方をする人がいるので、自分が責められているような気分にもなりました。心の傷は一生残ると思いますし、その後の人生にも深い影響を与えます。このような被害を受けるのはもう終わりにしてほしい。
仕事を始めて2年くらいの頃。10年近い先輩が、「俺がいろいろと面倒をみてやる」と気にかけてくれ、仕事のいろはを教えてくれた。それ自体はとても有り難いことだったので、素直に学んでいたら、だんだんと「一緒に食事に行こう」など個人的な誘いが加わるようになった。
何度断ってもまじめに受け取ってもらえないので、話すことを避けていたら、どんどんエスカレートして、ついに1人暮らしの自宅へ手紙が来るようになった。手紙のなかでは、すでに私と先輩が付き合っていて、ベッドの中で自分の腕枕で眠る私がこんなことを言ったとかあんなことをしたとか、おぞましいことがびっしり書き綴られていた。自宅を知られていることが恐怖で帰りたくなくなった。今でもセクハラをしたと認識していないと思う。
新人として赴任先での初日の歓迎会で、上司から「彼氏はいるのか」と聞かれた。いると答えると「最後にどういうセックスをしたのか」「カーセックスをしたことがあるか」と執拗に聞かれた。その職場に女性の先輩は1人もおらず、ここで答えなければ、「やっぱり女性は使えない」と思われるのではないかと思い、どうしたらよいかわからなかった。
後日知ったが、その上司は普段からセクハラばかりしている人のようで、周りの人は強く止めることはなかった。誰かが「まあまあ」くらい言ってくれたと思うが、そうすると「セックスの話を聞いて何が悪い!」と逆ギレされた。誰にも守ってもらえず、気分が悪くなり、自分の歓迎会にも関わらず、2次会に出席せずに帰った。
次の日からはその上司に会うのが恐ろしく、仕事を辞めてしまいたいとも思ったが、幸い、すぐにその上司が転勤になったので、いまでも仕事を続けている。10年以上経ったいまでも、当時のことを思い出すと苦しくなる。もし今後同じ職場になるようなことがあったら、自分がダメージを受けることも覚悟で闘いたい。
会見で、谷口代表は以下のように答えた。
調査によると、加害者は情報を提供する側、権力の側に立つ者が多かった。情報提供の見返りにセクハラが位置づけられいてるのが特徴的だった。こうしたハラスメントを上司などに相談しても、「おまえとセクハラとどっちが大切なんだ」と言われた事例がいくつも挙がっている。(加害者側で多かった)警察官は本来、性犯罪を取り締まる人たちだが、この人たちがセクハラに関わっているのなら、どこに助けを求めればいいのか。
メディアが報道しているからか、何人かの女性は、周りの男性から「昔セクハラしたよね、ごめんね」ということを言われたという報告も寄せられている。そう言うのなら、じゃあ、一緒に(セクハラをなくすよう)頑張りましょうということを言いたい。

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