Домой Japan Japan — in Japanese コラム:米国も「権威主義的国家」に向かうのか=河野龍太郎氏

コラム:米国も「権威主義的国家」に向かうのか=河野龍太郎氏

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河野龍太郎 BNPパリバ証券 経済調査本部長[東京 1日] — 1800年以前の 人類の 長い歴史の 中で、 長期的な1人当たりの 所得増加率はほぼゼロ%だったと考えられている。 もちろん、 それ以前に経済が全く成長しなかったわけではない。 しかし、 それは1人当たり所得の 増加によるもの ではなく、 主に人口増加によ
[東京 1日] — 1800年以前の人類の長い歴史の中で、長期的な1人当たりの所得増加率はほぼゼロ%だったと考えられている。もちろん、それ以前に経済が全く成長しなかったわけではない。しかし、それは1人当たり所得の増加によるものではなく、主に人口増加による所得の増加が原因だった。つまり、生産性とそれに連動する生活水準の継続的な向上が始まったのは19世紀からだ。 現在の富裕国(1人当たり所得水準の高い国)を見ると、産油国や都市国家以外は、いわゆる先進国と呼ばれる国々だ。富裕国の所得水準が高いのは、高い成長率が続いているからではない。収斂(しゅうれん)の法則も働き、富裕国の成長率は決して高くはないが、それでも所得水準が低所得国に凌駕されることはない。この200年間を見ると、トップ30カ国に新たに加わったのは、産油国や都市国家などを除くと、日本など極めて限られた国だけだ。 富裕国と低所得国の間で、一体、何が異なるのか。富裕国の成長率は拡大局面でも、それほど高くなるわけではないが、後退局面でマイナス成長となる期間が短いことが特徴だ。反対に低所得国は、拡大局面では富裕国を上回るスピードで成長するが、所得収縮が頻繁に生じ、落ち込みも大きいため、貧しいままなのである。 低所得国の政策当局者には、持続的成長という発想が不十分で、景気拡大局面でより高い成長を追求し、「ブーム&バスト」(景気の大きな振幅)が起きやすいのだろうか。もし仮にそうだとしても、それは富裕国も同じだ。高い成長が訪れると、それが永続するかのような錯覚に陥り、政策当局者を含め皆が「ブーム&バスト」に拍車を掛けるのは変わらない。 1800年以前は今の富裕国も1人当たり成長率がゼロだったと述べたが、それはずっとゼロだったことを意味するわけではない。プラスの成長の時代もそれなりにあったが、経済収縮の時代もあったため、均(なら)すとゼロ成長だったということだ。つまり富裕国になれたのは、所得収縮期を減らすことのできる社会制度が19世紀に備わったから、ということだが、それは一体何だったのだろう。 今回は、ノーベル経済学賞を受賞した新制度派経済学の大家、故ダグラス・ノース教授らが、近代的な政治・経済システムの成立を「暴力の制御」というユニークな視点から論じた著書「暴力と社会秩序:制度の歴史学のために」(以下、本書)を参照しつつ、この点を検討してみたい。 <途上国から先進国への移行はなぜ稀か> [東京 1日] — 1800年以前の人類の長い歴史の中で、長期的な1人当たりの所得増加率はほぼゼロ%だったと考えられている。もちろん、それ以前に経済が全く成長しなかったわけではない。しかし、それは1人当たり所得の増加によるものではなく、主に人口増加による所得の増加が原因だった。つまり、生産性とそれに連動する生活水準の継続的な向上が始まったのは19世紀からだ。 現在の富裕国(1人当たり所得水準の高い国)を見ると、産油国や都市国家以外は、いわゆる先進国と呼ばれる国々だ。富裕国の所得水準が高いのは、高い成長率が続いているからではない。収斂(しゅうれん)の法則も働き、富裕国の成長率は決して高くはないが、それでも所得水準が低所得国に凌駕されることはない。この200年間を見ると、トップ30カ国に新たに加わったのは、産油国や都市国家などを除くと、日本など極めて限られた国だけだ。 富裕国と低所得国の間で、一体、何が異なるのか。富裕国の成長率は拡大局面でも、それほど高くなるわけではないが、後退局面でマイナス成長となる期間が短いことが特徴だ。反対に低所得国は、拡大局面では富裕国を上回るスピードで成長するが、所得収縮が頻繁に生じ、落ち込みも大きいため、貧しいままなのである。 低所得国の政策当局者には、持続的成長という発想が不十分で、景気拡大局面でより高い成長を追求し、「ブーム&バスト」(景気の大きな振幅)が起きやすいのだろうか。もし仮にそうだとしても、それは富裕国も同じだ。高い成長が訪れると、それが永続するかのような錯覚に陥り、政策当局者を含め皆が「ブーム&バスト」に拍車を掛けるのは変わらない。 1800年以前は今の富裕国も1人当たり成長率がゼロだったと述べたが、それはずっとゼロだったことを意味するわけではない。プラスの成長の時代もそれなりにあったが、経済収縮の時代もあったため、均(なら)すとゼロ成長だったということだ。つまり富裕国になれたのは、所得収縮期を減らすことのできる社会制度が19世紀に備わったから、ということだが、それは一体何だったのだろう。 今回は、ノーベル経済学賞を受賞した新制度派経済学の大家、故ダグラス・ノース教授らが、近代的な政治・経済システムの成立を「暴力の制御」というユニークな視点から論じた著書「暴力と社会秩序:制度の歴史学のために」(以下、本書)を参照しつつ、この点を検討してみたい。 <途上国から先進国への移行はなぜ稀か>

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