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鹿賀丈史さん涙「浅利先生がいなかったら僕はいない」

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劇団四季の 創設者の 一人で、 演出家の 浅利慶太さんが亡くなった。 かつて劇団四季にも所属していた俳優の 鹿賀丈史さん(67)は、 「1972年に四季の 研究所に入って、 一から育てていただきました。 先生の 40歳…
劇団四季の創設者の一人で、演出家の浅利慶太さんが亡くなった。
かつて劇団四季にも所属していた俳優の鹿賀丈史さん(67)は、「1972年に四季の研究所に入って、一から育てていただきました。先生の40歳の誕生日をみんなで祝ったことを鮮明に覚えています。演劇へのすごい情熱で、僕らを引っ張っていってくれました。先生がいなかったら今の僕はいません。厳しかったですけど、根底にある優しさが皆を引きつけていたと思います。2000年に銀座で食事をしていて久しぶりにお会いしました。「お前、マクベスやるんだって。できんのかな」という感じで会話したんですけど、そのすぐ後に手紙をちょうだいして、『この前はきついことも言ったけど、ごめん』と書いてあったんです。劇団をやめてずいぶん時間はたっていたんですけど、心にとめてくださっていたのかと感謝しました」と泣きながら語った。
劇団四季に長く在籍していた俳優の市村正親さん(69)は「おととしの夏、お互いの稽古場が斜め前でのぞきに行ったら、『おー、イチ』とすごく元気で15分ぐらい話をしました。『お前の芝居が見たい』と言われた、そのときの笑顔が忘れられません。最近、食が細くなったと聞いて心配していました。20代の頃、『演技はハスの上の水玉のようなもの』と言われて、30代後半ぐらいでやっとわかるようになりました。偉大な演劇のお父さんです」と話した。

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