Start Japan Japan — in Japanese 平和語るなら…つば吐かれた日も サーローさん半生語る

平和語るなら…つば吐かれた日も サーローさん半生語る

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今年の ノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」 (ICAN)の 「顔」 として、 広島での 被爆体験を世界で証言してきたサーロー節子さん(85)=カナダ・ トロント在住。 引き続き、 これ…
今年のノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の「顔」として、広島での被爆体験を世界で証言してきたサーロー節子さん(85)=カナダ・トロント在住。
引き続き、これまでの自身の人生など、トロントでのインタビューの内容を紹介する。
――今年8月に88歳で亡くなった長崎被爆者の谷口稜曄(すみてる)さんと会う約束をしていたそうですね。被爆70年だった一昨年、ノーベル平和賞にはサーローさんと谷口さんが個人としてノミネートされていました。
最後に谷口さんとお会いしたのは一昨年の核不拡散条約(NPT)再検討会議。国連で一緒に座って話したのですが、谷口さんの口は動いているんですけど、声が出ていない。かすかな声で話をされていたのが心配でした。病院に出たり入ったりの生活と話されていて、涼しくなって(今年の)11月にも日本に行ってお会いする固いお約束をしました。ところが8月、共通の友人から「今朝、お亡くなりになられました」と。ショックでした。よくあの体で、長い年月を頑張ってくださった。強い意志の方でした。本当にさみしい思いです。
――被爆者のみなさんは高齢となりました。
自分ながら世界を股によく走り続けてきたと思います。まだやらなきゃいけないことはいっぱいあるけれども。
――サーローさんは1974年に広島での原水爆禁止世界大会に参加していますが、そこから非核運動に積極的に関わるようになったのですか。
それまでは1人の被爆者として話はしていました。こちらカナダでは、学校や女性運動の場、教会などで、ずっとしてきました。ただ、組織だった運動をするため、74年に広島に行った時、当時の荒木武・広島市長に会って「今まで自分の言葉で体験を語ってきたけれども、それだけでは不十分だ。もっと視野に入ってくるものを持って帰って、カナダのみなさんに見せたいので協力してください」とお願いしました。
――翌75年にトロントでカナダ初の原爆展を開かれています。
写真だとかフィルムだとか提供を受けました。それで、いろんな方に声をかけました。社会的に有力な人たちで、一緒に準備をして成功裏に終えたわけなんですが、そのエバリュエーション(評価)ミーティングで、一度やって成功したからお別れというのではなく、問題はこれからで、これを閉じるわけにはいかない、ということになりました。そこで、グループとして存続しましょうということになり、市民団体「Hiroshima-Nagasaki Relived(広島・長崎から学ぶ会)」というグループを立ち上げて、1980年代初めくらいまで5、6年活動しました。年配の人が多かったのですが、トロント大学の社会学者だとか、心理学者だとか、神学の方とか、周囲にいた高名な人たちがすごくよく働いてくださった。最初にグループのレターヘッドをつくるとき、スポンサーのリストをつくるのですが、すごくインプレッシブ(印象的)な人々の名前をもらいました。広島・長崎の市長、トロントの市長、オンタリオ州の知事も。あのころはまだマッカーシズム(赤狩り)の余韻があって、平和というと共産党という雰囲気で、つばを吐きかけられたこともありますが。「平和を語るんだったらモスクワに行け」なんて集会で言われました。
――カナダでもそんな状況だっ…

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