Start Japan Japan — in Japanese 「次の競技で全力を」 スノボ鬼塚選手の母らエール

「次の競技で全力を」 スノボ鬼塚選手の母らエール

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平昌冬季五輪大会の 4日目となる12日、 女子スノーボードの スロープスタイルでは日本勢4人はメダルに届かなかった。 優勝候補だった鬼塚雅選手(19)も強風で実力を発揮できず悔し涙を浮かべ
【平昌=桜田優樹】平昌冬季五輪大会の4日目となる12日、女子スノーボードのスロープスタイルでは日本勢4人はメダルに届かなかった。優勝候補だった鬼塚雅選手(19)も強風で実力を発揮できず悔し涙を浮かべた。熊本地震では出身校が被災。地元関係者や母親は「メダルを取れば復興の力になる」「次でベストを尽くして」と19日のビッグエアに期待する。 スロープスタイルの競技会場で鬼塚選手を応援する親族ら(12日) 2回目を終え、引き揚げる鬼塚選手=山本博文撮影 12日は過酷な自然との闘いでもあった。前日の予選は強風のため中止となり、全26選手で決勝を戦うことになったが、強風は収まらず、試合開始は1時間以上遅れた。 強風にあおられ、日本勢4人は相次いで転倒、優勝候補だった鬼塚選手は19位だった。競技終了後はこらえきれずに涙を流し、先輩選手から「しようがないよ」と慰められた。4人はビッグエアでの巻き返しを狙う。 「MiYABi」と書いた横断幕で応援に駆けつけた鬼塚選手の母、美代子さん(41)は「風などのコンディションが悪くて全力を出し切れなかったのが悔しい」と娘の心情を思いやり、「とりあえず『お疲れさま』と言ってあげたい。ビッグエアでベストを尽くしてほしい」とねぎらった。 鬼塚選手はウインタースポーツが盛んとはいえない九州・熊本から世界に羽ばたいた“異色”のスノーボーダー。福岡市の室内スキー場に家族で遊びに行ったのを機に、5歳でスノーボードを始めた。高校1年だった2015年1月、オーストリアで行われた世界選手権で史上最年少での日本女子初優勝を果たし、一躍脚光を浴びた。 158センチと小柄ながらスピードに乗り、難しい技を次々と決める姿は圧巻だが、素顔は「明るく、誰からも愛される普通の女の子」。出身のルーテル学院高(熊本市)で3年の時に担任を務めた原田大輔さん(33)はこう話す。 同校は16年4月の熊本地震で被災。発生当時、長野県で練習中だった鬼塚選手は「熊本のために何かできないか」と考え、母の知人を介し熊本市の郷土料理店が連日炊き出しを行っていることを知り、参加を申し出たという。 女将の倉橋恭加さん(45)は、外が真っ暗になるまで働く鬼塚選手の姿を振り返り「自分の信念を持って行動する子だと感じた」と話す。 倉橋さんは炊き出しに並んでいる人が鬼塚選手に気付き、うれしそうに「頑張ってね」と声をかけた姿を覚えている。「復興はまだまだ途上。雅ちゃんがメダルを取ってくれれば、今後の復興の力になる」 12日は金メダルを願って自宅で観戦したが、「実力を出せなかったようで私まで悔しくなった。気持ちを切り替えて次の種目を頑張って」とエールを送った。

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