高市早苗首相も11日の衆院予算委員会で、法改正についての検討を指示した。売春防止法の処罰対象に買春も含める法改正についても検討を指示。しかし、思わぬ副作用が生じる危険性はないのか、筆者が考察している
に制定された現行の売春防止法においては、「売春を助長する行為」等 に罰則が設けられているものの、「買春」行為については罰せられていない。
これに対し、売春防止法が制定されて以来、「買う側は問題にされないのに」という声が途絶えることはなかった。とりわけ昨今、立法・行政・支援団体など数多くの方面から、買春処罰の必要性を訴える声が高まっている。また、高市早苗首相も の衆院予算委員会で、法務大臣に対し、売春防止法の処罰対象に買春も含める法改正についての検討を指示した。
買春防止法が制定されれば、非対称性は確かに解消されるだろう。しかし、どのような効果をどこまで期待できるのだろうか? 思わぬ「副作用」が生じる危険性はないのだろうか? まず、当事者の小さな声を聞き取ってみる努力が必要なのではないか?
歴史的経緯を踏まえ、筆者自身の取材経験も考慮に入れつつ、考えてみる。
なお、本記事では、明確な人権侵害であり犯罪である人身売買や未成年者のケースは除外し、成人である本人が自分自身の意思によって性風俗店で就労している状況のみを考えることとする。(みわ よしこ)
いわゆる「弱者男性」に“疑似恋愛”の機会を提供?
貧困と社会保障に関する執筆・取材を約15年間にわたって続けてきた筆者は、数多くの貧困問題の当事者と出会ってきた。
時には、男性から性や恋愛の悩みを相談されることもあった。相談を口実としたセクハラも若干あったが、大半は「この人なら、笑わずに聞いてくれるかも」という期待と不安がないまぜの口調で切り出される、真摯かつ切実な相談であった。
売買春において「買う」側、すなわち「売る」側より強い立場にあるはずの彼らは、女性と出会ったり恋愛したり交際したりする機会が少ないという悩みを異口同音に語った。
マッチングサイトの利用や「推し活」などの場への参加は、話がはずんで交際できそうな異性との出会いを約束してくれるわけではない。出会えたとしても、資金力不足や自らの「スペック」が交際の進展を阻む。1回か2回の挫折で大きく傷つき、「もう、出会わない」と固く決意する人もいる。
とはいえ、異性や恋愛や交際や結婚に対する憧れが消えるわけではない。むしろ、決して実現しない理想であることを理解しているゆえに、理想としての異性や恋愛や交際や結婚への憧れが大きくなっている感じを受けるほどである。「恋に恋する」という古い言い回しを思い浮かべてしまう。
自分の思いが現実に噛み合っていないことは、彼らも充分に認識している。彼らにとっての現実的な「落とし所」の一つは、性風俗産業に 数千円~数万円を支払い、数十分間の疑似恋愛と快感を購入することである。あくまでも「相手は仕事だからしてくれているだけ」と割り切りつつ楽しみ、別れた後は余韻を味わう。
性風俗業の従事者からサービスを受けることは、恋愛や交際や結婚の代替にはならない。とはいえ、「恋に恋する」状態で恋愛を成立させて維持することは難しいだろう。
出会いや恋愛や交際や結婚などの経験を積んで「経験値」を高める機会があった人々は、その面ではすでに“強者“なのだ。”強者”が、彼らの心に響くアドバイスをすることは可能だろうか? そもそも彼らが本当に求めているのは、いったい何なのだろうか? 正直なところ、筆者にも分からない。
性風俗業で働く女性には、どのような“引力“が働いているのか
次に、性風俗業で働く女性たちへと視点を移してみよう。
彼女らの背景は多様である。年齢にも生育歴にも教育歴にも体型にも、性風俗店で働く女性の典型といえる類型はないだろう。ただ一つの共通点は、「現在、性風俗店で性的サービスに従事している」ということだけかもしれない。
ここに「たぶん、今日の就業時間終了まではいて、次の出勤日もいる」、つまり「現在のところ、性風俗業をやめる強い動機はない」を追加してもよいかもしれない。もちろん、仕事に誇りを持ち、「続けられる間は続けたい」と思っている人々もいる。
性風俗業でのキャリアには、「履歴書に書けない」という問題がある。本人に多様なスキルや成長の機会をもたらしているはずの経歴ではあるが、履歴書に堂々と書かれる可能性は極めて低い。その経歴を評価して採用する企業も、おそらく極めて稀だろう。
性風俗業に専念して10年が経過すれば、履歴書に10年分の空白期間ができてしまうことになる。求職にあたっては、不利な材料だ。
もちろん彼女たちは、その可能性を自覚している。年齢とともに容色が衰えていけば、性風俗業で充分な収入を得ることも困難になるだろう。「少しでも若いうちに一般的な就職をしなくては」という思いから、多様な努力や試行錯誤を重ねる女性たちもいる。性風俗業から脱却して生活保護を利用したり、給付つきの職業訓練を受けたりする女性たちもいる。
しかしながら筆者の知る限り、性風俗業から自分の意思で脱却することは、 極めて難しい。
いったん性風俗業から離れた女性が結局“戻っていく”理由
「性風俗業を辞め、生活保護を利用して傷ついた心身を治療し、回復したら職業訓練を受けて就職」という支援のルートに乗り、職場にスムーズに定着するのは、そもそも比較的若年で身体的には健康、知能は平均以上、困難は抱えているが「こじれ」は少ない人々だ。語弊を恐れずにいえば「支援しやすい」人々なのではないかと思うほどだ。
身体にも知能にも問題がなくとも、40歳以上まで性風俗業に従事している人々の場合、他人には(もちろん筆者にも)理解できない「こじれ」を抱えていたり、支援に包摂されようとしているのは理解しつつも自分自身が理解されていないことに苛立ったり、自意識と収入を満足させられる就職先が見当たらなさそうであることに失望したりしがちである。
生活保護や職業訓練により性風俗業からの脱却に成功したように見えても、数か月・数週間、ときには数日で終わることが多い。
彼女たちの戻っていく先は性風俗業しかない。そこに彼女たち自身の明るい未来はなく、性風俗業を脱却しようとした時よりも悪条件の仕事しかなかったりする。
とはいえ長年続けてきた仕事であり、時給でいえば一般的な職業と桁違いの収入が得られる。さらに、性的サービスを提供することによってしか得られない「対価」も見いだせるかも知れない。
ある女性が「男に必要としてもらえることや、男の肌の温もりがないと、私は生きていけないから」と語るのを聞いたこともある。その瞬間、彼女たちに対して用意された公的「支援」が成果に結びつきにくい理由を、筆者は少しだけ理解できそうな気がした。
売買春の「社会的機能」は、充分に理解されているか?
売買春に対しては、「あって当然」「あるべきではない」というモラル面からの両論に加え、売買春を含むセックスワークを一般的な職業として認めるべきか否かという議論もある。人身売買や児童に対する搾取など、決して許されない人権侵害と重なる部分もある。しかし、それらと重なっていない部分もある。
また、男女いずれの性にも「買う」可能性はあり、その際に「売る」のが異性とは限らない。
売買春をめぐる議論が紛糾しやすく感情的な応酬になりやすい原因の一つは、「考慮すべき可能性が多く、複雑だから」であろう。
そこで、筆者はまず「成人」「人身売買は無関係」「本人の意思に基づいていると言える」の3つが重なるケースの多数例、すなわち「女性による売春+男性による買春」のみを対象としたい。このような、最もありふれた類型でさえ、充分に理解され議論されているとは言えないように見受けられるからだ。
売買春は「構造的暴力」かもしれない、けれども?
「売買春は撤廃されるべき」という主張を長年にわたって展開している人々の中で、代表的な存在は社会学者のContinue reading...