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原発の町、戻れ古里…浪江-小高・再開

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JR東日本は1日、 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で6年以上不通だったJR常磐線浪江(福島県浪江町)-小高(同県南相馬市)間の 運行を再開した。 浪江町の 全域に出た避難指示は3月末に一部解除され、 駅にも客が戻った。 浪江は商業の 町だったが、 当面の 帰還者は数%とみられ、 飲食店が軒を連ねて原発作業員らでにぎわった駅前商店街もシャッター通りだ。 原発で盛衰を味わった町の 復興は遠い。 【土江洋範】
JR東日本は1日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で6年以上不通だったJR常磐線浪江(福島県浪江町)-小高(同県南相馬市)間の運行を再開した。浪江町の全域に出た避難指示は3月末に一部解除され、駅にも客が戻った。浪江は商業の町だったが、当面の帰還者は数%とみられ、飲食店が軒を連ねて原発作業員らでにぎわった駅前商店街もシャッター通りだ。原発で盛衰を味わった町の復興は遠い。【土江洋範】
浪江町の中心市街地・権現堂(ごんげんどう)地区にあるJR浪江駅。午前10時12分、馬場有(たもつ)町長(68)らを乗せた電車がホームに到着すると、大勢の町民らが笑顔で出迎えた。再開区間は8・9キロ。沿線では地元住民が「お帰りなさい」の横断幕を掲げて歓迎した。
避難先の同県南相馬市から始発に乗ってきた町出身の東海林サチ子さん(61)は「町の新たな誕生日をお祝いしたかった。約40年前に通学で利用していたので懐かしい」と話した。
看板が傾くスナック、入り口を塞いだ花屋--。仙台と直結し、町は復興に弾みがつくと期待するが、駅前から一歩入れば厳しい現実が広がる。復興作業のトラックばかり目立ち、ガソリンスタンドや整備工場がわずかに店を開ける。郵便局の再開は4日の予定だが、帰還に向けた自宅宿泊に登録した町民は解除対象人口の5%にとどまる。
避難指示が出た浪江町など双葉郡8町村は、1971年に運転を開始した福島第1原発(大熊・双葉町)が立地するまで、主だった産業がない農村だった。浪江駅からは中学を卒業したばかりの若者がSLに乗り、集団就職で上京。農閑期に日銭を稼ぐため、古里を離れる人も多かった。馬場町長は「原発ができてからは働く場所が生まれて町民が定着し、商業も盛んになった」と話す。
「原発城下町」として、昼は買い物客でにぎわい、夜はネオンがともる店が増えていった。権現堂地区の区長会長を務め、種苗店を経営する佐藤秀三さん(72)は「終電が過ぎても東電の関係者や原発作業員が飲み歩き、運転代行もほとんど捕まらなかった」と振り返る。
そんな町も原発事故で全域避難となり、若者は仕事や子育てで避難先に定着した。佐藤さんは昨年9月に町内宿泊が認められてから自宅兼店舗で暮らすものの、町民の帰還が進まず、店を再開できないでいる。
駅から約400メートル離れた「田河輪業商会」は昨年9月に店を開けた。2代目の田河一良(いちろう)さん(77)は「他の店主が『あの人がやってんだったら、俺もやってみんべ』と思うきっかけになれば」と願う。ただ、誰も来ない日も珍しくない。在庫を売り切ったら、店を畳むつもりだ。

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